集中講座・大江山


第11回おおあさ鳴滝露天温泉神楽競演大会で宮乃木神楽団は大江山を上演しました。大江山というと八調子では原田や上河内、六調子では川北や上石などのイメージで固められていると思います。
そこでここでは宮乃木神楽団の大江山を見る上での注意点を述べていきたいと思います。最初は時間を度外視してこの演目を作るつもりでしたが、競演に出場することもあり35分の短縮バージョンになりました。その後秋祭りでは時間を度外視したものにしようと思いましたが、ある評論家の先生から「このままの時間でよい」という意見があったため、現在もこの時間で上演しています。他の神楽団のイメージにとらわれていないため、初めて見る皆さんにはわかりにくい場面が多々あると思います。もしじっくり宮乃木の大江山を見たいと思われた方は、ここで予習をしておくと普通に見る以上に楽しめることでしょう。


1.宮乃木の「大江山」誕生の経緯

そもそも、宮乃木の「大江山」はできた経緯からして他の団のそれとは違います。宮乃木の大江山は懇意にしている石見神楽亀山社中の小川徹氏によって台本が作成されました。そのため口上の中には石見の匂いがするところが多々あります。それに加えて、舞や楽のほうにも石見が入っているところもあります。
あらすじは一般的な八調子の大江山と変わりませんが、珍しいのは三世ヶ託より頼光に神変鬼毒酒が授けられるシーンがあるところでしょう。競演では時間短縮のために削られる場合が多いのですが、小川氏の台本に忠実に従っているため、このシーンも入れられています。しかしながら、このシーンが入ったり、口上が長いこともあり、立合いが少々短めになっていますが。


2.宮乃木の酒呑童子

皆さんは酒呑童子というとどういう印象を受けるでしょうか。多分皆さんが想像するのは手下ともに都に出没しては庶民に悩みをかける鬼の首領の姿だと思います。ある意味この印象は当たっていると思います。
ここで、台本にある酒呑童子の口上を紹介してみようと思います。
「そも我はこれ、本国は越後にて山寺育ちの稚児なりしが、法師に妬みあるにより、あまた法師を取り殺し、そののち比叡の山に着き、我が住む山と思いしが、伝教大師と申す者、我が立つそま、とて追い出し、力及ばず山を出で、この大江山にと立て籠もりしが、弘法大師と申すえせ者のあり。さりながら今は左様の法師もなきにより、この童子様に敵とうする者は一人もなし」
この口上から童子は初めから鬼ではなかったことがわかります。越後生れの山寺の稚児であった童子が、法師の妬みによって疎まれたことにより、その法師たちを殺してしまいました。人々はこれを見て童子を鬼に仕立て上げました。そのうち童子自身も「自分は鬼である」と思うようになりました。
そして口上にもある通り、比叡山に飛び移りましたが、そこには伝教大師最澄がいたため、その法力により追い出され、大江山に移り住みましたが、そこには弘法大師空海がいたため、封じ込まれていましたが、空海が死んだことによりその封印が解け、童子は都に出て悪事を働くようになりました。それにともない茨木童子や唐熊童子などの眷族も増え、大江山は鬼が住む山となりました。童子は鬼の王として鬼の世界で君臨しました。
これに加えて、宮乃木の酒呑童子の特徴としてとても気位が高いという点が上げられます。もともと寺の稚児として育った童子です。神楽で登場するほかの鬼に比べ学があります。法師に妬まれるぐらいですから、そうとう賢かったのでしょう。さらに、当時の鬼の総大将であるという自覚もあります。
そのため、童子自身ですら自分のことを「童子様」と言うのに、誰かに「童子」と呼び捨てにされるとどうなるでしょう。少しネタバレになってしまうのですが、顔色を変えていきり立ってしまいます。


3.金太郎から坂田金時へ

各神楽団では大江山に登場する神(伴)もそれぞれ変わってきます。原田は卜部季武と坂田金時、川北は卜部季武のみ、上石は坂田金時のみ、上河内は渡辺綱と碓井貞光と坂田金時というふうに多種多様です。
宮乃木神楽団の神(伴)は渡辺綱と坂田金時です。なかでも坂田金時はおかっぱ頭、マサカリ、面というふうに普通の神の姿とは違います。これは上河内の金時や石見神楽の金時に近いです。これは単におとぎ話の金太郎を意識したというわけではありません。
宮乃木の大江山では、三世ヶ託より神変鬼毒(じんべんきどく)の神酒を授かった後、金時が大江山への道を切り開きます。そして頼光よりこれまでの功績を称えられ、太刀を授けられます。再びネタバレになりますが、ここで金時は面を取ります。ここが金太郎から金時へ生まれ変わった瞬間です。
坂田金時は皆さんもご存じのとおり院の北面の武士坂田時行の子で信州明山で山姥によって育てられ、盗賊を生業としていました。そこに盗賊成敗のため東国に向かっていた頼光主従によって改心させられ、頼光四天王の一員に加えられます。
当神楽団の解釈では頼光四天王になっても怪力に任せて頼光に仕えていたと考えました。従って、頼光がこれまでの功績を称えて太刀を授けることによって、これからは力だけに頼るのでなく、もっと大人になれと言いたかったのだと解釈しています。そのため金時は面を取り、一般的な神の姿に変わるわけです(頭はおかっぱのままですが)。そして最後には酒呑童子に止めを差します。


4.三世ヶ託の存在

競演ばかりを見ておられる観客の方々には三世ヶ託の存在自体知らない方がいらっしゃるかもしれません。確かに競演大会では時間短縮のため削られ、一般的に影の薄い存在です。
しかし、この「大江山」という演目の中で、一番偉いのはこの三世ヶ託なのです。もともと三世ヶ託は石清水八幡宮、住吉明神、熊野権現の三つの神社から使わされた神様です。さらに頼光の酒呑童子退治を支援するため、神変鬼毒酒や巻物まで授けます。頼光にとってはとても大事な神様です。
さて、三世ヶ託が授ける神変鬼毒酒。これはいかなる酒でしょうか。まずこの酒が出ない大江山などありえないので、皆さんも知っておられるでしょう。ちなみに《じんべんきどくしゅ》と読みます。その名のとおり鬼が飲めば毒になり、そうでない善人が飲めば千人の力を与える酒です。


5.酒呑童子と頼光の問答

大江山という演目のいちばんの見所は酒呑童子と頼光の問答といっても過言ではありません。しかしながら、最近の競演大会で見る大江山(特に八調子の新舞)では、立ち合いが重視され、問答が軽視される傾向にあります。ところが、宮乃木の大江山はその逆で、立ち合いよりもむしろ問答を重視しています。
ところで、宮乃木の大江山を見た方が「口上が分かりにくい」という感想を持たれる場合が多いという話を聞きます。一つの理由としては、頼光役の福島さんが少々早口だというのもありますが、やはりいちばんの理由は口上が難解だということだと思います。特に問答の場面では、修験道の専門用語が並べられていて、そのような言葉を知らない人であれば、何回聞いてもわからないかもしれません。
そこで、少々ネタバレになってしまいますが、ここで問答の部分の口上を表記したいと思います。

童子 如何に用なる者共、汝ら一体何奴なるか。又何故にこの大江山に立ち入りしか。
頼光 我ら出羽の国、羽黒山の山伏なるが、山伏の行の習いによりて大峰山に年籠もり、諸国修行に罷り出で、山陰道(せんのうどう)より踏み迷い、これまでも罷り来たりて候。
童子 汝ら姿形は山伏なれど、聞けばこの度都に於いて、この童子様を討ち取らん謀有りと聞く。汝等誠の山伏なるか、又偽の山伏なるか、この童子様が一々尋問致してくれん。それに答えればよし、しかしそれに答えられざるその時は、汝等の一命貰い受けんが返答は如何に。
頼光 されば何なりとお尋ねあれ。
童子 まずは山伏の行と申せしが、その行とは如何に。
頼光 此れは尤もなることを問うべきものかな。それ山伏の行といっぱ神変菩薩の教えに習い、苦修錬行を以って、無相三密、十界一如の妙理を修得し、即身成仏を欲するものにて候。
童子 されば汝が手に持つものは。
頼光 これなるは錫杖と申し、地に打ち振い諸仏を驚覚し、加護を受け、六道輪廻の眠りを覚まし、罪障を除くものにて候。又、これなる数珠は最多角念珠と申し、珠の数は百八つにして煩悩を表し、又珠の形は知剣を現し、一心に念じ煩悩を転じて菩提とするものにて候。
童子 なる程の。されば頭に頂くものは。
頼光 これなるは頭兜と申し、五智の宝冠にして十二因縁のひだを据え、黒色たるその色は無明を表し、頭に頂き煩悩を打ち消すものにて候。
童子 然らば、あれなる行者が手に持つものは。
頼光 これなるはマサカリと申し、道なき所に道をつけ、橋なき所に橋を架け、果ては修験の道をも切り開くものにて候。
童子 されば山伏、汝等太刀を佩かせるは何故なるか。
頼光 これは降魔の利剣と申し、仏法に害をなす悪魔・仏敵を打ち払うものにて候。
童子 なる程の。されば最後にも一つ聞く。先に十二の因縁と申せしが、その十二の因縁とは。
頼光 さて、その因縁とは…。
童子 さて、その因縁とは。
頼光 さて、その因縁とは…。
童子 さて、その因縁とは。
童子 それが答えられぬとあっては、偽の山伏と決まったり。汝等覚悟致せ。
頼光 いや暫くお待ちあれ。聞きたくば語り聞かさん。よくぞ承って候へ。如何に十二の因縁とは三界においたる互いの因果を、無明・行・識・名色・六處・触・受・愛・取・有・生・老死の如く十二に分けて説きしるし、因縁、即ち尼陀那の事にて御座候。





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